Category: 自我

何か頼みごとをすると
無理
と返されることが
流行りのような時期があった

何でも無理無理言うな!
って思ってたけど

無理って言えること
凄いんだな

私は言えなかった

でも

今週末友とバス旅(無料じゃない 笑)
吊り橋が行程に入ってる

無理かも

友に言った

『はるちゃんも?私も!』と返信

言ってよかったな

fed28281.jpg

ふたりがまだ幼稚園に行く前
妹が誘ってくれて
日帰りスキーに行ったのだけど

当然覚えてないよね、二人とも

上の子は中学でスキー合宿がありましたが、高所恐怖症のため、リフトに乗れなくて、泣いたそう

私も実は怖がりなんだと、ようやく最近知りました
だけど、出来る!やる!と思って来たんだなぁ
負けず嫌いだからね

でもそれがあったから今回無謀にも
ブランクがあってもチャレンジ出来たと思う
昔と違って上級者コースは行きませんでした

気持ちよかった

ありがとう、北海道、雪

うまいこと言う

すっかり子どもに甘えていた

2回目の親離れ宣言

小学校5年のとき、
はっきりと親離れ宣言されました

それでも、子離れ出来ない私を
ずっと気遣ってくれてきたんだと
気づきました

嘘はつかないで

これだけをずっと守ってくれて

何でも話してくれた

どこかで
これでいいのかな、って
思ってた

子離れのきっかけを頂いた


今日は嫌なことばっかの日だった

と思うか、

今日は大変だったけど、たくさんの学びを頂いた

と思うのか

自分次第

後者の日が増えたらいいなぁ


こんなふうに書いてても
涙が出る

強がってても
寂しくて

別れじゃない
彼女をちゃんと旅立たせるんだ

この痛みは成長なんだ、
いい年した私の
まだノビシロあるのかなぁ

でも、この苦しさ
ちゃんと受け止めてるよ

わかってるんだよ
わかっているから
泣いても
ちゃんと
手ばなす

98c05fa5.jpg


afa2528a.jpg


時女から
気遣ってるんだなって思ふ

時女のように喜びを表せない
素直じゃなくてスミマセン

こんな時間に泣いたら
会社行くのかっこ悪いなぁ

お弁当をやめるとか
朝起こさないとか

そんなの関係なく
ちゃんと自立できる人がいて

また自分もそれが出来なきゃとか思ってたんだな

出来なければ、
ご飯も作らない(極端すぎ?)とか
から始めないと
わからない
どこまでならいいのか

離れてしまわないと
過干渉になってしまう

今日は泣きながら走りました。

お酒も楽しいより
ムシャクシャで飲む方が多くなっていました。
泣きながら、飲みたいという感覚は戻らなかったけど、これがシラフで向き合うということなんだなぁと思った。
逃げられない

泣くほど辛いけど
もう答えは出ている

そのことを認めるのが怖かった

お酒をやめているだけではいけない
それがわかった気がした


先日の旅行で
ホテルが両親
の傘寿を祝ってくれた

当然のように乾杯ビールを注文する
妹たち、そして両親

『もう、そんな飲みたいとは思わない』
そういう父は1杯をゆっくり(以前は誰よりも早く次を注文していた)
私は全くその選択はなく、黒糖コーラを頼んだ

そのとき、父がひとこと
『お前も頑固やのぅ』

サラッと流せれなかったのが
まだまだだと思うけど

そこからずっと頭に残っていて

モヤモヤしていた日が続いていた

まとまらないけど
書いて少し落ち着いた

支度しよう

菅田くんと山田くんのドラマ

肉体的になくなるのが一度目で
自分が忘れられて二度目の死

リメンバーミーを思い出す

毎年ご先祖様が帰ってくるのを
家族が迎え待つ

覚えている人がいなくなったら
二度目の死

旦那が働いているのに
自分だけ、行きたいままに生きてる

罪悪感
贅沢

色に向き合おう

↑このページのトップヘ